長野と塩とイカ

結婚して、長野県の伊那谷が私のもうひとつの故郷になった。

義母の食卓は賑やかで、大きなひと皿盛り料理がところ狭しとちゃぶ台に並ぶ。輪切りの茄子に甘辛味噌と刻んだ青紫蘇をのせて焼いたもの、トマトと鶏のから揚げの南蛮風、お盆のお供えに作る天ぷら饅頭、そしてもちろん自家製の野沢菜漬けと奈良漬け。その中に、見慣れない一品があった。「これは何?」と聞くと、「塩イカだよ」という答えが返ってきた。

塩イカは茹でて皮をむいたイカを塩蔵したもので、食べる前に水に浸して塩気を抜く。これを刻み、胡瓜と一緒にマヨネーズをつけながら食べるシンプルな一品が義母の定番料理のひとつだった。美味しい!イカを噛むと、ほどよい塩味がなんとも絶妙なのである。

私はこの「塩イカ」なる食べものがすっかり気に入り、自分で買おうと関東にある自宅近くのスーパーマーケットで探してみるも、見つからない。塩イカは、長野県、それも伊那谷周辺でしか販売されていない特産物なのだと後で知った。だから私は時々義母にせがんでは送ってもらうことにしたのだが、義母は「こんなものが欲しいの?」と笑っていた。どうやら塩イカは、日々の食卓にあまりにも自然に溶け込んでいるせいで、「おやき」、「野沢菜」、「蜂の子」などといった長野県の有名な特産物とは違って、うっかりすると特産物だということを忘れられてしまう存在のようなのである。

それにしてもなぜ、海から遠い長野県で「塩」と「イカ」という海の幸が特産物なのか?ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ時、一冊の本を思い出した。宮本常一の『塩の道』(講談社学術文庫1985年、初出は『道の文化』講談社1979年)である。周知のように、生きていくうえで塩は欠かせない。そのため、沿岸で塩を直接生産できない内陸に暮らす人びとは、様々な知恵と工夫で塩を手に入れる歴史を紡いできた。同書にはそうした各地の知恵と、馬、牛、人の背に負われて隅々まで運ばれた「塩の道」の歴史が記されている。その中で宮本が「たいへん興味を覚える」と記したのが、まさに長野県伊那谷への道だったのである。

もうひとつ重要な指摘は、「塩魚」という塩の運び方が各地にみられたということである。サケ、イワシ、クジラなどは塩漬けにされ、山深い地域へと運ばれた。これは栄養を摂るための魚というよりもむしろ、付加価値をつけて塩を運搬するための知恵といえる。塩魚にはおそらく「イカ」も含まれていたと考えると、塩蔵されたイカが伊那谷を中心として食され、それが郷土食として定着したということにも合点がいく。この発見に膝を打って喜んだところで、もう一冊思い出した。私が専門とする地理学の名著、田中啓爾の『塩および魚の移入路』(古今書院1957年)である。同書が塩と魚と道についての論考であったということに今更気がついたのかと、地理学仲間から塩辛い批評が聞こえてきそうである。

しかしともかく、私が大好きな塩イカは、「塩の味は歴史の味わい」ということを教えてくれる「地域の逸品」であることに間違いはなかった。義母たちとそんな話をしながら、またちゃぶ台を囲みたいと思っている。

湯澤規子(法政大学人間環境学部教授)

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