塩のうまさ
徳川家康の聞書や覚書をまとめた『故老諸談』に、家康の愛妾お梶の方の塩にまつわる有名なエピソードが紹介されている。家康が家臣と「この世で一番うまいものはなにか」という談義をしていたときに、同席していたお梶の方にも話を振ったところ「それは塩であり、塩がなければどのような料理も味を調えられず、おいしくできない」と答えたという。「それでは一番まずいものはなにか」と尋ねるとお梶の方は「それも塩であり、どんなにおいしいものでも、塩を入れすぎたら、食べることができない」と答えたそうだ。今も昔も食べ物のおいしい、まずいは塩加減に左右される。
おいしさと言ったらうま味、うま味といったら出汁を連想する方も多いのではないだろうか。京都・西大路にある鰹節や昆布などの乾物を扱う老舗には、様々な出汁を体験できるスペースがある。そこでは昆布や鰹節の出汁、さらにあわせ出汁も味わえる。この出汁だけでもおいしく、香り豊かでうっとりするが、一つまみの塩を入れてみると、キリっと引き締まった “塩味”のお吸い物へと昇華され、ぐっとおいしさがひきたつ。ここで出汁が“塩味”になってしまったのがおもしろい。この老舗は、出汁は和食に欠かせないもので料理のおいしさを支えるが、決して主役ではないというのだ。
出汁の主たる味質であるうま味は、今でこそ塩味、甘味、酸味、苦味と並び、基本五味の一つに数えられているが、それが発見されたのは1907年であり、比較的最近のことだ。東京大学の池田菊苗教授が昆布から煮汁をとり、うま味の素であるL‐グルタミン酸ナトリウムを抽出したことによる。日本人は古来、出汁のおいしさは知っていたが、香りやその他の味をそぎ落とした、基本味の一つとしてのうま味を確認するまでには、池田教授の発見をまたねばならなかったともいえる。グルタミン酸ナトリウムの味はいわゆるうま味調味料をそのまま舐めたときの味である(うま味調味料は通常より強いうま味の感覚を与えるために相乗効果を狙って核酸が数%配合されていることが多い)。わたしが授業等で学生にうま味調味料の溶液を試飲させると、うま味という名称とは裏腹に、そのまずさに辟易する者も多い。出汁のおいしさをご存じの読者のみなさんにとって、うま味の溶液がまずいという評価がされることが不思議に思われるかもしれないが、出汁にはうま味以外にも香気成分などが含まれている。うま味は香りや他の味質とあわさって初めて多くの人にとってのおいしさにつながる縁の下の力持ちのような味質といえるのかもしれない。意識に上りやすく、食品のおいしさのターゲットとなる味質は塩味や甘味ではなかろうか。
お梶の方の言う通り、塩味は物足りなかったり、過剰だったりする場合は食品をまずくもする。強い塩味はとげとげしく、塩辛い。強すぎると唾と一緒に吐き出したくもなる。考えてみると、甘すぎる食品もあるが、すぐに吐き出したくなるような感覚はめったにない。高濃度の塩溶液に対しては、塩味以外にも苦味と酸味の受容体(センサーのようなもの)、さらにはトウガラシの辛さを感知する体性感覚の受容体も反応する。唐辛子の辛さは痛みのような感覚でもあるといわれており、苦味と同様に、生得的には不快な感覚である。私たちの身体は様々な受容体を用いて塩を受け取って、その情報を統合することで塩味のおいしさ、まずさを心の中に創造しているのである。
和田有史(立命館大学食マネジメント学部教授)