アメリカ合衆国の内陸部からメキシコ湾岸部にかけての地域には、岩塩層が分布している。調味料として有名なタバスコも、ルイジアナ州エイブリー島の岩塩を利用して製造されたものである。これらの岩塩は、地下水に溶け出し、塩泉として地上に湧き上がる。北米には岩塩のほかに湖塩など、直接利用できる塩もあるが、200年ほど前まで塩泉を利用した製塩が先住民によっておこなわれていた。16世紀のスペイン人遠征隊は、先住民が良質の塩を交易していたことを記している。塩泉の周囲では、大量の土器が見つかることがあり、土器で塩泉水を煮沸することで塩を作っていたと考えられる。筆者は、日本の縄文時代製塩土器と比較するために、アメリカ南部の製塩遺跡から出土した資料を観察したことがある。今回は、これらの製塩土器についてご紹介したい。

土器を用いた塩作りは、AD800年ごろのウッドランド文化期後期には始まっていたようである。鉢形(ボウルのような形)の土器の外面には、縄文時代の製塩土器にみられるような熱を受けた跡と、製塩土器の特徴である土器表面の剥離が観察できる。縄文時代の製塩土器とは形状は異なるが、製塩のため煮沸に利用されたことがうかがえる。

これに続くミシシッピ文化期(AD900〜1,600年ごろ)には、浅く径の大きい土器が塩作りに使用されるようになる。土器の整形が粗雑で歪みが大きい上、出土する土器片は小さいので、正確なサイズを復元するのが難しいが、口縁部の直径は約50~80cm、高さは約20~30cmとなるようだ。サイズとともに、土器の厚みも増している。この土器は、縄文土器などのように粘土紐を巻き上げて作るのではなく、型を利用して製作されたと考えられている。外面には、トウモロコシの皮などで作られたバスケット状の編み物の跡がついたままとなっているものが多い。ただ、ミシシッピ文化期初期の製塩土器は、外面の跡がなで消されていたとされる。おそらく時期を経るにしたがって、土器製作の際、外面の仕上げの作業が省略されるようになったのであろう。土器製作上の簡略化があったとすれば、縄文時代製塩土器の変化と類似の傾向といえる。

ミシシッピ文化期になると、土器の形状・製法が変わるだけでなく、塩水の煮沸の仕方も変化したようである。先ほど述べたように、ウッドランド文化期には外面に煮沸の跡が残っているのに対し、ミシシッピ文化期の製塩土器の外面にはその痕跡がほとんどない。製塩遺跡では、土器とともに焼けた石が散見されるので、焼け石を塩水に入れて煮沸したのではないかという説がある。一方で、炉穴のような遺構が検出される例もあるため、今後事例が増加すれば、煮沸の工程がより明確になるだろう。

縄文時代とアメリカの製塩土器を比較すると、土器の形状は異なるものの、製塩工程や土器製作に共通点や差異がみられて興味深い。文字記録のない先史時代の製塩技術や塩の社会的意義は、各地の事例との比較検討によって、さらに詳しく理解できるのではないかと期待される。

川島尚宗(島根大学法文学部山陰研究センター客員研究員)

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