古来、中国大陸において、塩は人びとが生きていくうえでの必需品であるとともに、国家財政を支える専売品でもありました。海に囲まれた日本列島とは違い、中国には塩の産出の限られた広大な内陸部が控えています。このため、塩は東シナ海沿岸に点在する数十ヶ所の製塩場で生産され、数ヶ所の塩倉に集められてから、河川をさかのぼって内陸各地へと運ばれるというのが一般的でした。中国の歴代諸王朝はその一連のプロセスを管理し、塩を専売とすることによって、財政を豊かにしようとしたのです。

13〜14世紀にかけての100年余り、中国大陸を支配したのがモンゴル帝国です。モンゴル帝国といえば、中国だけでなくユーラシア大陸の過半を影響下に置き、東西交易や地域レベルの流通など、広狭さまざまな規模で経済を活性化させたことで知られています。モンゴルは、中国支配を始めるや、塩の生産・流通・販売の重要性に目をつけました。もともと遊牧民であったモンゴルの支配者は、塩が貴重であることを十二分に理解しています。とくにクビライ・カアンは、中国の伝統的な塩の専売制を受け継ぎ、中央財政を支える柱と定めました。クビライ政権は、地方財政を農民からの徴税によって成り立たせる一方で、中央財政は塩の専売による収入と、その他の商税(売上税)でまかなうこととしたのです。

さて、クビライ政権の財政運営において興味深いのは「塩引」の発行です。「塩引」とは、紙に印刷された塩の引換・販売許可証です。これを役所で購入する際には銀(のち銀兌換紙幣)を用いるよう定められていました。銀と引き換えに入手した「塩引」を持参して塩倉に赴けば、塩の現物を受け取り、それを内陸各地に輸送・販売して利益を上げることができたわけです。なお、銀は当時、中国を含めたユーラシアの広大な地域で通貨として通用する貴金属でした。

「塩引」の発行は、モンゴル政権にとって次のようなメリットがありました。まず、塩の生産から販売までのすべての専売プロセスを国家が管理するのではなく、民間の商人に「塩引」を購入させ、流通と販売の一部を外部委託することにより、専売制を維持するためのコストを減らすことができたという点です。民間商人に委託したため、一部の地域で塩価が騰貴したという記録が残っていますが、総じていえばモンゴル時代中国の塩価は抑制的だったといってよいでしょう。そしてもう一つのメリットは、ユーラシア共通通貨ともいえる銀を国庫に確保することができたという点です。これらの銀を背景にして、モンゴル帝国は、銀兌換紙幣を発行することができ、また、ユーラシア各地の封建勢力に銀を賜与して彼らを繋ぎ止め、商業と貿易の盛んな大帝国を築くことができたのです。

このように、モンゴル時代中国の塩は、“重商主義”的ともいえる経済体制のもと、銀と結びつきながら帝国経済の維持に重要な役割を果たしていたのです。

矢澤 知行(近畿大学国際学部教授)

 

参考文献:『クビライの挑戦 モンゴル海上帝国への道』杉山正明、「元代の財政と鈔」宮澤知之(『佛教大学 歴史学部論集』第2号)、「元代的塩引制度及其歴史意義」李春園(『史学月刊』2014年10月号)

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