昔西洋では今よりも魚を消費する割合が多かった。断食日には魚を食べることになっており、その断食日が中世には一年の半分を占めていたからだ。この状況は宗教改革の時代に食が宗教から切り離されていくなかで変化していくが、カトリックを奉じた国々においては、その後も魚の重要性は変わらなかった。そのため西洋の歴史においては、漁業が意外なほど重要な役割を果たしてきたのだ。そしてそうした魚を保存するためにも、塩は重要な役割を果たしていた。

西洋の漁業で重要だったのが、大量に捕獲が可能なニシンとタラになる。都市同盟であるハンザが勢力を拡大したそもそものきっかけが、ハンザの中心都市であるリューベックの近海にニシンの回遊コースがあり、加えて岩塩の産地であるリューネブルクが近辺にあったことにある。そして塩ダラについては、たんに断食日の食材として重要だったというだけでなく、保存がきくため航海時の食料としても重要な働きをした。実際、製品によっては五年も保存が可能であり、しかも赤道を腐ることなく越えることができたため、塩ダラがなければ大航海時代があそこまで爆発的になりえたか、疑問視する歴史家もいる。

航海時の食料としてだけではない。塩ダラは我々が考えている以上に西洋の植民地経営と関わっている。コロンブスの次に新大陸に到達したキャボットが、カナダの沿岸で発見したのが大量のタラの群れだった。以降新大陸北部の植民地化の歴史は、実質的には各国のタラ漁民の縄張り争いの様相を呈していく。その縄張り争いで最終的に勝利したのが、沿岸の塩田で大量に塩を生産できるフランスやスペインではなく、終始塩不足に悩まされていたイギリスであったのは、歴史の皮肉と言えるかもしれない。ちなみに安価な塩ダラは奴隷の食料としても重宝された。さらには保存がきくため代用通貨としても利用され、それで奴隷を購入することもできたそうである。神聖な理由で重視されてきた塩ダラが、植民地経営のなかで堕落してしまったわけだ。これもまた、歴史の皮肉と言えるだろう。

越智敏之(千葉工業大学教授)

参考文献:『魚で始まる世界史』越智敏之

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