塩の原料、と聞くと、おそらく日本人であれば海水をまず思い浮かべるのではないだろうか。しかしながら、海外では岩塩が豊富に存在しており、塩湖から塩が大量に採取できる地域もある。東ヨーロッパのルーマニアには、岩塩が大量に埋蔵されているほか、3,000ヶ所ともいわれる塩泉があり、これらが現在でも生活と密接な関係にある点で興味深い。

モルダビアの岩塩の露頭(土砂に覆われているが、全て岩塩。崖の下には、塩を含む地下水が湧き出している。)(筆者撮影)

 

塩が豊富な地域は、ルーマニア北部のトランシルバニアとモルダビア地方である。モルダビア地方では、製塩の歴史が古く、新石器時代の製塩土器が出土している。日本の縄文時代の製塩土器に類似した深鉢状の形状で、カルパチア山脈東麓に分布する遺跡から使用後の土器片が大量に出土している。塩の原料となった塩泉の塩分濃度は様々であるが、海水よりも濃度が高い場合が多く、比較的効率的に煮沸による製塩が可能となっている。

塩泉は地表面まで湧き出すものや、井戸のようなものなど様々である。それぞれ、木枠を組んだり、くり抜いた木の幹やコンクリート製の土管を据えたりして、周囲の補強と塩水を汲みやすくする工夫がなされている。塩泉水は、周囲の住民によって、現在でもベーコンなどの肉製品・チーズの製造、野菜・果実の保存などにそのまま利用されている。モルダビアの塩泉利用で興味深いのは、塩泉が領主・国家に管理されず、誰でも利用できたことである。多くの国・地域で塩の専売制が設けられたのに対し、塩分濃度の高い塩泉が自由に利用されてきたのは珍しいのではないだろうか。この伝統によって、当地では、塩泉利用が地域の生活に根強く残っていると考えられる。

モルダビアの塩泉(筆者撮影)

 

塩は食料保存・加工だけでなく、豊穣祈願・魔除け・まじないなどの用途にも用いられている。モルダビアの多くの地域では、家の新築時に、四隅に穀物、パン、硬貨、聖水などとともに塩を配置する。同様の用途として、結婚式などの儀礼でも塩が重要な役割を果たしている。これら家内安全や家庭の繁栄のほかに、悪霊を寄せつけないように玄関のドアマットの下に塩を置くなどの利用法もある。こうした塩の用途は、日本の盛り塩に似ているところがあるだろう。このほか、生まれてくる赤ん坊の性別判断や、翌年の天気などの占いにも用いられている。

近年、ルーマニアのヤシ大学を中心とする研究グループによって、塩泉利用の民族考古学的研究が進められており、上記のような塩泉の利用、塩・塩泉水の多様な用途が明らかにされた。通常、考古学では、食品加工・貯蔵への塩の利用に主な焦点が当てられてきたが、民俗例を参考にすると、過去の社会においても塩が生活の様々な場面で重要な役割を果たしてきたと考えられる。

川島尚宗(島根大学法文学部山陰研究センター客員研究員)

ホームへ戻る