観光大国オーストリアにあって、オーバーエスタライヒ、ザルツブルク、シュタイアーマルクの3つの州をまたいで広がる山岳湖水地帯、ザルツカンマーグートは、風光明媚なリゾート地として、いまなお絶大な人気を博している。世界遺産の湖上都市ハルシュタット、皇妃エリーザベトゆかりの保養地バート・イシュル、東部アルプスの最高峰ダッハシュタイン山塊など、あまたの景勝地は、古くから旅行者の心を魅了し続けてきた。

だが、ツーリズムが勃興する近代以前、広大な塩鉱床を抱えたこの一帯は、まさしく塩業の発展を通じて、オーストリア、ハプスブルク君主国の産業・経済に、数世紀にわたって貢献してきたのだった。ザルツカンマーグートという地名は、「塩(ザルツ)の直轄地(カンマーグート)」に由来する。冷蔵技術が存在しなかった当時、塩は唯一の食品保存料であり、貴重な天然資源として莫大な富をもたらした。「白い黄金」とまで称された塩を重要な財源とみて、その産出地を直轄統治したハプスブルク家が、行政区域の境界線を越えて広がる一帯をこの名で呼んだことが地名の起源とされるが、高くそびえる銀嶺の奥深くに2億年前の海を抱きこみ、無尽蔵の富を秘めたザルツカンマーグートは、18世紀には「国のなかにある別の国」と言いならわされるほどの繁栄を誇った。当地の塩業がもたらす収益は、19世紀半ばにおいてなお、国家収入の5分の1を占めたという。

年間100万人が訪れる観光名所、ハルシュタットの街の何よりの魅力は、湖と岩山の絶壁に挟まれた狭隘な空間にひしめき合う伝統家屋や教会が織りなす、あたかもジオラマのような独特の雰囲気であろう。鉄道敷設もままならず、住民の埋葬地にも事欠くほど過酷な環境の中に密集して構築された集落の佇まいは、太古の昔に遡る塩業の経済的意義と、それに携わった人びとの生活のあり方を想像させるに十分である。19世紀までは、塩鉱から掘り出された岩塩の多くは、女性や子供たちによって急勾配を運びおろされ、湖の波止場まで運ばれたという。市街裏手の山道を少し進めば、史跡として公開された古い坑道跡に、当時の塩業のいとなみの名残をたどることができる。

 

1997年に世界遺産の指定を受け、年間100万人の
観光客が訪れる湖上都市ハルシュタットは、
古くから塩業の拠点として繁栄をみた。

 

だが、おとぎの国のようなロマンティックな景観をたたえたハルシュタットは、アルト・アウスゼーなど、地域内のいくつかの塩鉱とならんで、いまなお人びとの食卓に食塩を供給し続けている。近郊のエーベンゼーに本拠を置くオーストリアの製塩会社、ザリーネン・オーストリアの年間生産量は120万トン、全ヨーロッパの食塩総生産量の約2パーセントを占めている。ほぼ北海道ほどの国土面積を抱える小国家オーストリアの、国としての規模を考えるなら、この数字はきわめて大きな意味を持つと言えるだろう。

こうして、ザルツカンマーグートという地名の響きは、オーストリアの人びとの念頭に、かつてハプスブルク家の人びとが夏ごとに遊んだ保養地としての優雅なイメージとともに、食卓に欠かせない塩の生産地を即座に連想させるのである。

山之内克子(神戸市外国語大学教授)

参考文献:山之内克子『物語オーストリアの歴史 中欧「いにしえの大国」の千年』(中公新書)

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