New 暮らしと塩のほんとうの話~公衆衛生の視点から~
第2回  食卓から健康を守る~学校給食と塩のはたらき~ 2025.12.9公開

気温が下がり、日照時間が短くなる冬は、私たちのからだにとって負担の大きい季節です。寒暖差による血管の収縮や活動量の低下から血圧が上がりやすくなる一方で、温かい汁物や鍋料理が恋しくなり、塩味のきいた料理が増える時期でもあります。そんな冬の入り口に、「塩」と「健康」、そして「学校給食」について考えてみたいと思います。

私は大学で、公衆衛生学を基盤とする公衆栄養学を専門に教えています。給食の現場に直接立つことはありませんが、栄養教諭をめざす学生さんの教育実習の巡回で研究授業を見学したり、学校全体の食育活動をお手伝いしたりしています。給食の内側ではなく、「子どもの食と環境」を意識した形でかかわらせていただいている立場です。

公衆衛生(Public Health)は、「一人ひとりの健康」と「社会全体の健康」をともに守る学問です1)。個人の好みや努力だけでは変えにくい「環境要因」に目を向けることも特徴です。食塩摂取も、家庭での味付けだけでなく、学校給食や外食、加工食品、コンビニやスーパーのお惣菜などの食塩相当量高めの食品といった食環境が大きな影響を及ぼしていることが、多くの疫学研究や栄養調査から示されています。言い換えれば、食塩の問題は、特定の人の「自己管理の甘さ」だけでなく、社会全体の構造としてつくられてきた側面をもつ、ということです。

食塩の摂り過ぎは高血圧や脳卒中、慢性腎臓病(CKD)などに関係し、日本人の食事摂取基準や学校給食の基準にも反映されています。いまの日本では、子どもから大人まで共通する栄養課題の一つとして、「食塩の摂り過ぎ」がいつも挙げられています。一方で、塩(NaCl)は、体の中ではナトリウムイオン(Na)と塩化物イオン(Cl)に解離され、ナトリウムイオン2)は細胞外液量を維持し、胆汁や膵液、腸液などの成分にもなります。塩化物イオンは胃酸の基になります。2009年には、塩化物イオンは、脳の神経を落ち着かせるだけでなく、興奮させる神経が正常に働くためにも必要であることが証明され、細胞外の塩化物イオン濃度が高く保たれている必要があることも発表されました3)。最近では、Na、K、Clなど複数のイオンが共存し、その濃度が精神疾患や神経疾患の理解・治療において重要であることから、これらのイオンを同時に測定できる技術が、2024年に東北大学で開発されました4)。今後ますます、生体内のイオンバランスの重要性が解明され、注目されていくことを期待しています。そして、お料理では、ほんのひとつまみの塩が、味噌汁や煮物をきりっと引き締め、素材のうま味を引き出してくれます。塩を「敵」とするのではなく、どのように使いこなすかが問われています。

学校給食はその問いに日々向き合う場です。2学年ごとに食塩相当量の基準が定められていますが、栄養教諭をはじめ調理に係る方々が、数字を守るだけではなく、子どもが「おいしい」と感じて食べきれる塩加減を模索されています。だしや香り、食感などを工夫しながら、塩を減らしても満足できる食事を提供する努力が続けられています。

味覚の研究では、舌の「味蕾(みらい)」にある味細胞が1〜3週間ほどで入れ替わることがわかっています5)。成長期の子どもは新陳代謝が活発で、味覚が変化しやすい時期です。つまり、子どもは日々の給食を通して「自分にとってちょうどよい塩加減」を学んでいるのです。減塩を「がまん」ではなく、「味覚を育てること」として捉えることができます(味の受容や五つの基本味については、「塩味はおいしい!」に掲載されている朝倉富子先生の「味覚点描」をご覧ください)。

ある教育実習校で、教育実習生が「1日に摂ってよい食塩の量を知り、適塩マスターになろう!」という研究授業を行いました。担任の先生が「1週間に3日はカップラーメンを食べてしまう」と告白すると、子どもたちは「先生、それは食塩の量が多いよ」と反応しました。けれども最後には「先生がカップラーメンを好きなら食べてもいいよ。でも健康診断で体のチェックをしてね」と発表しました。知識としての正しさと、人を思いやる優しさが同居する授業に、公衆衛生の原点があるように感じました。

確かに、幼少期から薄味に慣れることは将来の高血圧や心血管疾患など生活習慣病を防ぐ上で重要です。しかし、「減塩さえしていればよい」と考えると、食べることへの喜びが失われます。味の薄すぎる給食は残食や食品ロスを増やし、家庭ではその反動で濃い味を求めることもあります。「今おいしく食べること」と「将来の健康」を両立させる工夫が大切だと思います。

学校給食は、栄養補給の場であると同時に、日本の家庭料理や郷土食に出会う場でもあります。地域の味、季節の味、行事食の味をみんなで味わう経験が、「ちょうどよい塩加減」を身につける学びになります。とはいえ、学校給食だけですべてを担うことはできません。放課後のコンビニ食、外食、スポーツドリンクなど、社会のいたるところに「塩の入り口」があります。家庭、地域、食品産業、行政が同じ方向を向き、「おいしく・健康的に食べられる環境」を整えていくことが大切です。

グリム童話「泉のそばのがちょう番の女」6)の中で、3人姉妹の末娘は、父である王様に「どんな上等なお料理でも、お塩がはいらなくてはお味が出ません。ですから、わたくしは、お父様を塩と同じくらい大好き」と伝えます。しかし理解されず、逆に塩袋を背負わされて荒れた森に連れていかれ、魔法使いに婆皮を被らされがちょう番をすることになります。その後、王様が娘を探しますがすぐには見つからず、3年後に若い伯爵により発見され、幸せに暮らしたというお話です。なくてはならない塩ですが、隠れると気づかれず、当たり前のように存在する塩。塩を減らすことも、上手に使うことも、どちらも健康を守るために欠かせません。

学校給食の現場からも、そして私たち一人ひとりも、この問いを発し、家庭や地域、社会全体で「ちょうどよい塩」とともに生きる未来を考え続けていくのはいかがでしょうか。

德野裕子(十文字学園女子大学人間生活学部准教授)

【参考文献】

  1. 丸井英二(編)『わかる公衆衛生学・たのしい公衆衛生学<第2版>』弘文堂. 2023.
  2. 厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2025年版)」2024.
  3. 東京医科歯科大学 脳統合機能研究センター 准教授 高森茂雄「脳内塩素イオンの新しい役割を発見」2009.(プレスリリース)
  4. 国立大学法人東北大学 生体内で複数のイオン濃度を 同時に計測できる新技術を開発 ~柔軟性と高感度を兼ね備えた神経イオンプローブで実現~」2024.(プレスリリース)
  5. 應本真「味覚の多様性を支える味細胞分化機構-食と健康をつなぐ分子レベルでの解析から」『日本家政学会誌』Vol.76, No.10 p31-37 日本家政学会. 2025.
  6. 金田鬼一(訳)「KHM179 泉のそばのがちょう番の女」『完訳 グリム童話集5』岩波書店. 1979.

これまでの連載はこちら
第1回 塩と私の原点~“当たり前”にあった塩の記憶~

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