1.フランス王朝史と塩税

人は塩なしでは生きられない。生物学的に、なしでは生命を維持できない。そのことを本能で知るからか、塩なしでは食べ物も美味しく感じない。科学文明、工業文明の前までは、塩漬けが肉や魚を長期間保存する、ほとんど唯一の方法だったりもした。他に代わるものもなく、であるからには誰もが必ず塩を手に入れなければならない。

ところが、塩は空気のように、どこにでもあるわけではない。あるのは塩田とか、塩泉とか、岩塩鉱とか、むしろ特別な場所に限られる。どこでも必要とされる塩なのに、特別な場所にしかないのだから、塩を支配するのは実は意外なくらいに簡単である。

いや、誰にとっても簡単というわけではない。その限られた場所でも、塩を手にするのは容易でない。まずもって精製しなけれはならないし、それからもすぐ出荷できるわけではない。例えば塩田だと、海水から取り出した塩を乾燥させるため、さらに2年から3年の時間を要した。そのあとも今度は輸送が楽ではない。重量があり、また扱いにも神経を使うからだ。そんなこんなで、塩の事業は金がかかったのだ。

個人で営むのは難しい。資本家が投資すればと考えるのは近代人の発想で、それは前近代では成立しない。結局のところ、手を出せるのは国家権力だけだった。初期投資さえできれば、あとは管理しやすい事業なので、国家権力が出てこないほうが不思議だ。利益を引き出そうとするのも当然で、それを国家権力にやらせれば、課税ということになる。人は塩なしには生きられないのだから、それは取り逸れがない優秀な税金になるだろう。

かくて塩税というものが現れる。古代ギリシャ、あるいはローマ──なかでも最も発達し、最も安定的に施行されたのが、フランスの塩税=ガベルだった。制度として確立したのが14世紀で、最終的な廃止が1946年だから、およそ600年も続いたことになる。

始まりは中世、いや、中世を脱却せんとしていた時代だった。当時のヨーロッパは封建社会である。封建社会というのは、領主制、荘園制に基礎づけられた体制のことだ。それが王でも、収入は領主として自分の荘園から集める年貢に限られた。これは日本も同じだったから、わかりやすい。江戸時代までは、徳川将軍家といえども基本的には自分の領地、つまりは天領からの上がりでやりくりしていたのだ。が、これが厳しかった。〇✕の改革を繰り返し、常に質素倹約に励まなければ維持できなかった通りだ。

フランスでも、厳しかった。なにしろ領主としての収入しかないのに、王として国を切り盛りしなければならないのだ。日本は中世このかた、対外戦争は元寇くらいしかなく、だから質素倹約で乗り切れた。フランスはといえば、12、3世紀にもなると、イングランドだ、ドイツだ、スペインだと対外戦争ばかりになった。とても持つわけがない。

そこで考え出されたのが年貢でなく、いうところの税金だった。これは誰の領地、彼の荘園もなく、国全体にかけるものだ。が、どうやってかけるか。どこにかけるか。

フランスに「農場には何でもあるが、鉄と塩だけはない」という諺がある。誰の領地、彼の荘園にもあるわけでないからには、塩なら手を出してもあまり文句はいわれない。王は特別な場所だけ押さえれば、全国から税金を集められる。他面、その塩がフランスでは、小麦、葡萄酒と並ぶ三大産品のひとつとされていたほどなのだから、もうしめたものだ。

かくて塩税=ガベルは始まる。人頭税=タイユ、消費税=エードと並ぶ税金三本柱のひとつとして、そのまま「絶対王政」を支え続ける。フランス革命でいったん廃止されるも、ナポレオンの第一帝政、復古王政、七月王政、第二共和政、第二帝政、第三共和政と、その後の政体も有力な財源として手放さなかった。時代と状況にもよるが、塩税=ガベルは国家収入の6パーセントほどを、常に担い続けたといわれている。

佐藤賢一(作家)

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