生命と塩 第1回 塩味を感じる味蕾の未来

人間の味覚は、生物学的には五つの基本味からなります。皆さんもよくご存知の甘味・酸味・塩味・苦味・うま味の五味ですね(六番目の味覚も研究されているところです)。味覚は主に舌にある味蕾(みらい)で感知されます。さらに細かく見ると、味蕾にある味覚受容体細胞(味細胞)が味覚センサーとして働いていますが、その核心となる「受容体」は細胞膜にあるタンパク質で、味覚ごとに専用の受容体があります。たとえば、甘味とうま味の受容体はT1Rファミリー、苦味の受容体はT2Rファミリーというタンパク質群です。酸味と塩味の受容体はずっとミステリーだったのですが、酸味受容体はOTOP1というタンパク質であることが2019年に解明され、塩味受容体もついに2020年に解明されました。

実は塩味の受容体はENaCというタンパク質であることの見当はついていましたが、完全には解明されていませんでした。そこに決定打を放ったのは京都府立医科大学の樽野陽幸教授のグループです。ポイントは味細胞から味神経ひいては脳への情報伝達でした。せっかく味細胞の受容体で味覚を感知しても、味神経を経て脳に伝わらなければ認識できません。塩味細胞では、塩味の受容体は確かにENaCなのですが、味神経に情報伝達するのは別のタンパク質CALHM1/3であることを樽野教授らが解明したのです。

樽野教授らはマウスを用いて研究しましたが、その実験結果の解釈はおそらく人間にも適用できます。すると、こう言えるのではないでしょうか。もし「ポイントは味細胞から味神経ひいては脳への情報伝達」であるのなら、人間の食生活における塩味の追求において、塩味の感知(ENaC)もさることながら、塩味の伝達(CALHM1/3)を操作することで、塩味をより良く楽しめるようになるのではないか、と。

さらに言えば、塩味も含めて味覚の研究はこれまで受容体(タンパク質)とその遺伝子の研究が主流だったのですが、味細胞や味神経についての研究はこれからという段階だと思います。その一方で、人工器官(オルガノイド)としてシャーレの中で培養された「味蕾オルガノイド」がすでに作成されています。人間の舌の味蕾は0.1 mm以下で数千から1万個あって、ひとつの味蕾の寿命は10日ほどです。これが味蕾オルガノイドだと、0.1 mm以上のものが無数に30日以上も維持できるのですから、味覚研究に大いに役立つことでしょう。まさに未来の味蕾、あるいは、味蕾の未来です。

長沼 毅(広島大学大学院統合生命科学研究科教授)

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