生命と塩 第3回 ナトリウムイオンと生命

お塩の主成分は塩化ナトリウムNaClです。塩化物イオン(以下Cl-)は前回に取り上げましたので、今回はナトリウムイオン(以下Na+)ですが、まずは言葉の整理から。ナトリウムの元素記号はNaなのに、英語ではソディウムsodiumといいます。ナトリウムは、古代エジプト語のナトロン(ミイラ作成に用いる炭酸ナトリウム)に由来する名称で、十九世紀に元素記号Naが使われるようになりました。一方、英語でNaはソディウムといいますが、これはアラビア語で炭酸ナトリウムを意味するスーダあるいはソーダに由来するのだそうです。カリウムKも英語ではポタシウムと呼ぶように、呼称の統一は意外と難しかったようです。

さて、Na+の生物学的な役割ですが、いちばん分かりやすいのは「浸透圧の調節」でしょうか。Cl-も浸透圧調節に関わっていますが、主役はやはりNa+です。浸透圧は簡単にいえば「水分とNa+のバランス」でして、もしNa+過多(水分不足)なら、それを感知した脳が表層意識に「喉の渇き」を喚起して水分補給しつつ、脳から腎臓に「抗利尿ホルモン」を送って尿を減らし水分を節約します。逆に、もしNa+不足(水分過多)なら、尿を水っぽくしてNa+を出さないようにします。

Na+が出るのは尿だけではありません、汗にもNa+が含まれています。高校時代、真夏の野球の応援団員として大汗をかいたら、学ランが真っ白になるほど塩が吹いていました。こうなると熱中症が怖いですよね。でも、大汗をかいたからといって水をガブ飲みするのはかえって危険です。血中Na+が薄くなって低ナトリウム血症になりかねません。スポーツドリンクでさえもまだNa+不足気味。そこで登場するのが経口補水液です。

大汗だけでなく下痢(英語でダイアリア)でも水分を失います。水分を吸収するはずの大腸が水分を吸収しなくなるのがダイアリアです。症状がひどいと脱水症状になるので水を飲むのですが、ダイアリアの大腸では水分を吸収できず、死に至ることもあります。しかし、救世主が現れました。経口補水液です。1960年の研究発表「ナトリウム-ブドウ糖共輸送」のおかげで「水にNa+とブドウ糖が適度にあると小腸からも水分を吸収できる」ことがわかり、1970年代に経口補水液が発展しました。

経口補水「液」は経口補水「塩」を水に溶かせば簡単に作れまして、経口補水の液も塩もどちらも英語略称はORSといいます。世界保健機関(WHO)と国連児童基金(ユニセフ)は実用的なORSのレシピを公開し、発展途上国での治療に用いています。発展途上国の5歳未満児の二大死因は肺炎とダイアリアですが、後者はORS、つまりNa+とブドウ糖で命を救えるのです。ふつうなら塩と水は相反するように思えるのですが、むしろNa+があったほうが水を吸収しやすいところにも「生命と塩」の妙があるようです。

長沼 毅(広島大学大学院統合生命科学研究科教授)

ホームへ戻る