生命と塩 第2回 塩化物イオンと生命

塩は、ふつうは「しお」と読みますが、化学では「えん」と読み、「陽イオンと陰イオンがイオン結合したもの」を指します(世間でよく耳にする“マイナスイオン”は今回は触れません)。陽イオンと陰イオンがイオン結合したら何でも「えん」になるのですが、水に溶けやすい「えん」と溶けにくい「えん」があって、後者の好例は石灰岩です(炭酸カルシウム、すなわちカルシウムの炭酸塩)。ここでちょっと石灰岩の話を。

太古の地球の大気は現在より100倍も濃く、そのほとんどが二酸化炭素でした。しかし、二酸化炭素は海水に溶け込んで炭酸イオンになり、陸から流れ込んできたカルシウムイオンと結合して、炭酸カルシウムの「えん」になりました。これは水に不溶で沈殿し、やがて石灰岩となって地中に閉じ込められました。こうして地球の原始大気から二酸化炭素がなくなったのです。

さて、水に溶けやすいほうの代表は食卓塩の「しお」で、その主成分は塩化ナトリウム、ナトリウムイオンNa+と塩化物イオンCl-が結合した「えん」です。ナトリウムについては別に述べるとして、今回は塩化物イオンCl-の話を。塩化物イオンCl-は“塩の素”つまり塩素Clのイオンです。ただ、塩素というと、一般には消毒に使う塩素分子(塩素ガス)Cl2を思い出しますが、ここでは体に必要な塩化物イオンCl-に焦点を絞ります。

塩化物イオンCl-は体内の浸透圧やpHのバランス、いわゆる恒常性(ホメオスタシス)の維持に必要ですし、神経の電気信号の伝達にも必要です。なので、私たちの細胞膜には塩化物イオンCl-の出入口「Cl-チャンネル」が付いています。塩化物イオンはまた、デンプン分解酵素(アミラーゼ)や血圧調整酵素(アンジオテンシン変換酵素)など、重要な酵素の活性にも関わっています。さらに、植物の光合成における塩化物イオンの役割もここ10年ほどで解明されてきました。

塩と同じくらい生命に必要な酸素O2は植物が作りますが、本当に作っているのは植物細胞内の「葉緑体」です。その緑色素(葉緑素)が受けた太陽光エネルギーをつかって水H2Oから酸素O2ができる、まさにその部位(Mn4Caクラスター)の構造維持に塩化物イオンの存在が不可欠なのです。

葉緑体と葉緑素はそれぞれ英語でクロロプラスト、クロロフィルといいまして、黄緑色を意味するギリシア語「クロロス」が語源です。一方、塩素ガスが黄緑色(クロロス)であることから、塩化物と塩素も英語でクロライド、クロリンといいます。葉の緑色とガスの緑色はもともと無関係でした。しかし、ここ10年ほどで光合成と塩化物イオンの関係がわかってきたことで、ようやくつながったというわけです。

長沼 毅(広島大学大学院統合生命科学研究科教授)

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