第3回 山の民の塩づくり

捕鯨村ラマレラ村周辺の内陸部の人々は農業を生業とする焼畑農耕民である。彼らの中には自家消費用に塩を採っている人々がいる。山間の村から岩石海岸に降り、海水を汲み、それを海岸の岩場においた容器に溜めて天日蒸発させ、結晶塩を採取する。

ラマレラ村から5~6kmの内陸部に住むタポバリ村民は、竹筒を半裁した容器を岩礁の上に並べて海水を入れ、自然蒸発させて結晶化するまで放置する。数本の竹筒で採取される塩は一握りほどである。

アタディ半島の内陸部に住むアタウォロ村の人々も同様の方法で塩をつくるが、彼らは椰子の一種アレカヤシの花序を包む苞(ほう※1)を折りたたんで船形に加工した長さ20cm×幅10cmくらいの容器を利用している。容器を20~30個海岸の岩の上に並べて海水を注ぎ、タポバリ村民と同様に結晶するまで、放置し採集する。別の地域ではシャコガイの殻を利用しているところもある。

左:タポバリ村の塩づくり 半裁された竹の窪みに海水を注ぐ。竹の底にはわずかに塩の結晶が沈殿していく
右:アタウォロ村の塩づくり アレカヤシの苞で容器をつくり海水を入れる。一週間ほどで塩の結晶ができる

熱帯地域での塩の確保は、自家消費であれば、このような天日採塩で日常の塩分はどうにか賄える。大量の薪を採集し、鹹水(かんすい※2)をつくり、煎熬(せんごう※3)鍋で炊いて製塩するラマレラ村は、自家消費以上に域内交易品としての塩を生産することを目的としている。

ラマレラ村の女性たちが塩を供給する地域はレンバタ島の南部地域であり、北部地域での塩の供給は、島の北岸中央部にある県都レウォレバ町から東に13kmのワトディリ村キマカマ集落の女性たちが担っている。ワトディリ村民は主に農業を生業としているが、その中でキマカマ集落の女性のみが製塩をおこなっている。

キマカマ集落では初原的な方法での「入浜系塩尻法※4」で製塩を行っている。集落の前面にはマングローブ干潟が形成され、浜辺におびただしい数のシャコガイ類の殻が散乱している。シャコガイは自家消費用に採取したものであり、製塩時の道具に使用されている。集落名のキマカマは「キマ」がシャコガイ、「カマ」が貝殻を意味し、この貝殻容器に由来している。

キマカマ集落の浜には、わずかな面積(270a)に塩炊き小屋総数22軒、鹹砂(かんしゃ※5)小屋が9軒ある。鹹砂の採取は鹹砂小屋の前にある干潟で塩分が付着して白くなっている砂泥を小刀などで削り取り掻き集める。採鹹装置は極めて質素で、鹹砂を入れたロンタールヤシ葉製の籠を溶出装置とし、下にロンタールヤシ葉を6枚敷いて濾過装置とし、貯水穴から採取した海水を籠に注いで鹹水をシャコガイの殻に溜める。煎熬用の炉は3個の石を組み、その上に鉄製丸鍋を載せ、山から採集してきた薪で煎熬する。一家族で1日約10kgの塩を生産している。

キマカマ集落の製塩 
左上:製塩小屋と前面の鹹砂 右上:貯水穴から海水を採取する
左下:採鹹装置と製塩釜 右下2枚:スンペと定期市での塩の販売

キマカマ集落で生産された塩はほとんどが市場で販売されている。県都レウォレバ町での定期市で「スンペ」と呼ばれる籠(ロンタールヤシ葉製)に入れられ、1スンペ500g単位で販売される。1スンペの塩は物々交換するとトウモロコシ、バナナ10本と等価となる。

レンバタ島で特徴的なことは、域内交易品として製塩を行うキマカマ集落民やラマレラ村民が他島からの移住民であり、自家消費用の採塩を行う人々は先住民だということである。このことは、移住民によって煎熬という製塩技術の移入があったことを示唆している。

江上幹幸(えがみともこ)(元沖縄国際大学教授)

参考文献:江上幹幸「東部インドネシアの製塩―琉球列島における製塩考察のための民族資料―」東南アジア考古学会編『塩の生産と流通―東アジアから南アジアまで―』雄山閣 2011年

注1 苞(ほう):ヤシ科の花は多数が花軸の上に密集して肉穂花序をつくり、それが大きな苞に包まれている
注2 鹹水(かんすい):濃い塩水
注3 煎熬(せんごう):煮詰めること
注4 入浜系塩尻法:干満差を利用して干潮時に鹹砂を集めるが、鹹水を採取した後の鹹砂残滓をその場に廃棄して再使用しない略奪的な方法
注5 鹹砂(かんしゃ):塩分の付着した砂

これまでの連載はこちら
第1回 ラマレラ村の伝統捕鯨と塩
第2回 海の民と山の民の物々交換

続きはこちら
第4回 大航海時代に登場する塩づくり
第5回 ティモール島の塩とヤシ糖
最終回 ヤシとマングローブと塩


【塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会事務局より】
江上幹幸先生には、「くらしお古今東西」の沖縄県のページにもご寄稿をいただいています。こちらも、ぜひご覧ください。

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