塩が足りないと? 第1回 残留日本兵と塩

塩なしに動物は生きていけない。細胞の浸透圧の維持、神経伝達や筋収縮に電解質のナトリウムが不可欠なのだ。それは動物が塩の豊富な海水中で誕生したからにほかならない。

が、4億年余り昔、動物は陸で生活するように進化した。海と違って陸には塩が少ない。塩が多いと植物の多くは枯れてしまう。だから熱帯のジャングルでは塩が入手しにくい。

そんな環境下で長期間にわたって暮らすことを強いられた日本兵がいた。第二次世界大戦のあと、南洋の島のジャングルに置き去りにされた残留日本兵である。

たとえば小野田寛郎(1922~2014)は太平洋戦争末期、情報将校としてフィリピンのルバング島に派遣され、ゲリラ戦に従事した。で、日本の敗戦を信じず、戦後も29年間、食料が乏しく、医薬品も皆無なジャングルで生き延びた。そんな人物が書き残している。

「人間は水と塩があれば、最低限生きる条件が整っているような気がする。私たちは塩を〝魔法薬゙と呼んでいた。『きょうは寒いから、ひとつ魔法薬を使うか』と、食事にほんのひとつまみの塩を入れる。それだけで味が違い、体力が回復した」(小野田寛郎、1995『たった一人の30年戦争』東京新聞)

今ひとり、終戦を知らずにニューギニアの山奥で10年、最後は4人で原始生活を送った島田覚夫(1921~1995)も『私は魔境に生きた』(2007、光人社NF文庫)に興味深い記録を残した。

それによると、各地の兵站への米などの食料補給が途絶えた後は、「食えるものはなんでも食おう」と考えるほかなくなった。で、サゴヤシの幹を砕き、水で溶いて分離した「サクサク」という名の澱粉、塩漬けパパイヤの新香、サツマイモやタピオカなどは当然、日本にいるのと似た家鼠をはじめ、小さな蟹やトカゲ、樹木に寄生するカミキリムシなどの幼虫、さらにはイナゴ、バッタからムカデまでをも食べて命をつないだという。

ただ、塩の欠乏は深刻だった。これがないと「パパイヤの新香」も作れない。で、残りが乏しくなってくると、1か月1合を半合に減らす。と、副食に味がつかなかったという。

「塩のない生活、それは全くみじめだ。……じーんと舌に感じる塩の味、平時、どのような美食もこの味に勝るものはないだろう。不自由な思いをして初めて私たちは塩の尊さを知り、またいかに塩そのものに深い味があるものかを知ることができた」

そんな思いを新たにしながら彼らは、塩欠乏の果てに粉醤油が保管してあったブリキ缶を水で煮込んで、鉄分を含んだ塩分を回収してありがたがるのであった。

高田公理(武庫川女子大学名誉教授)

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