塩が足りないと? 第4回 塩がなくなるという噂

日本経済は1956年から1972年までの17年間、年平均およそ9%の成長を続けた。これとほぼ同時期に日本の石油消費量は22倍に増大し、エネルギー消費の4分の3を石油に依存するに至った。急速な「エネルギー革命」が進行したのである。

そんな時代を経た後の1973年10月、産油国のアラブ諸国が親イスラエル国への石油輸出を禁止し、石油価格が暴騰する。で、日本政府は石油需要産業への消費抑制、国民へのマイカー自粛などを呼びかけた。すると、消費者の不安は一気に高まり、翌11月には、その後わずか3か月で3倍以上に価格が急騰する「トイレットペーパー」をはじめ「砂糖」「洗剤」などの買い占め騒ぎが首都圏で始まり、すぐに九州や北陸地方に飛び火した。

いうところの「石油ショック」が始まったのだ。で、11月中旬、北九州の一部で「塩もなくなる」というデマから食用塩の買い漁りが始まり、1週間後には首都圏周辺に波及し、店頭から塩がなくなった。

とはいえ通常、20円の「食塩620グラム※¹」で1世帯が1か月生活することが可能で、その需要を小売店の標準在庫は満たしていた。が、低価格だったこともあり、不安にかられた消費者の多くが大量のまとめ買いをしたために小売店頭からまたたく間に姿を消したのだった。

そこで日本専売公社は塩の緊急輸送を行うとともに、マスコミに塩の在庫が山積みの倉庫を公開する。結果、首都圏や九州地域では12月中旬に落ち着きを取り戻した。しかし近畿地域の「塩パニック」は落ち着くまで約3か月を要したという。

この間、620グラム20円の塩を40円で売ったり、10キロ280円の塩※²を2キロずつに小分けして100円で売ったりする塩専売法違反が続出。公社の支部局は専売監視※³を動員して市場の点検と犯則の検挙にあたった。他方、国会でも「国民生活安定緊急措置法案」と「石油需給適正化法案」が審議されて関連する議論がなされた。

そこで思い出すべきは、その30余年前、太平洋戦争の勃発に伴い「塩の配給制度」が始まったこと、戦後も1947年には塩の必要量の60%しか供給されなかったことである。石油ショックに伴う塩の逼迫は、そんな記憶がよみがえったことによるのかも知れない。

ただ、周知のように過剰な経済統制はしばしば「ヤミ」の台頭をもたらす。だから上記2つの法律の運用に関しては国民が適切な監視を続ける必要が国会でも指摘された。

そんな経緯を経て1972年まで年平均およそ9%の経済成長を続けてきた日本経済の成長率が石油ショック後の1974年にはマイナス0.5%に低迷し、安定成長への道を歩み始めた。

高田公理(武庫川女子大学名誉教授)

参考文献:日本たばこ産業株式会社 広報部 社史編纂室、1988『戦後の専売取締史』日本たばこ産業株式会社

塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会事務局より;

  1. 「食塩620グラム」:1963年に日本専売公社から発売された、当時の家庭用小物塩商品の代表的な銘柄。1973年時点の小売価格(販売制限価格)は20円でした。
  2. 10キロ280円の塩:当時、「食塩」のお徳用サイズとして「食塩10キログラム」(1965年発売、小売価格は280円)が販売されていました。
  3. 専売監視:専売取締に従事する日本専売公社の職員。

これまでの連載はこちら
第1回 残留日本兵と塩
第2回 塩の配給と闇塩:敗戦直後の話
第3回 無人島生活と塩

続きはこちら
第5回 保存料としての塩が足りないと
最終回 塩が多すぎると

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