塩が足りないと? 第2回 塩の配給と闇塩:敗戦直後の話

塩は不思議な品物だ。「常日頃は忘れがちでも……ないと無闇に欲しく又有りがた味がでてくるし……あり余れば一向に魅力もない。……しかもほかにかけ替えのないものである……なくて困るし、多くても持てあますし、しかも代わりのものがない……いかにもくせものである」(武樋寅三郎・編、1949『最近の塩の経済構図』日本塩業協会)という。

そんな塩には食糧塩と工業塩がある。ただ本来、日本には諸外国にある岩塩や鹹泉がなく、海水から塩を作るのに必要な太陽熱や風力はじめ燃料資源に余り恵まれていない。で、その貴重な塩を適切に流通させるために日露戦争中の1905年、専売制度が始まった。

こうした状況のもと、太平洋戦争が始まる1941年ごろまでは、その需給量が食糧塩100万トン、工業塩150万トン程度で安定していた。が、戦争の激化に伴い供給量が急減。国内の生産量は最大68万トンから39万トンに減少する。当然、輸入も困難となり、1942年には塩の配給制度が始まり、非常手段として専売制の趣旨に反する自家用製塩が認められた。

こうして迎えた敗戦直後、塩の国内生産は13万トンに激減していた。結果、たとえば1947年10、11月の食糧塩の供給量は約89,290トンで、1人当たり450グラムとされた必要量の60%足らずの263グラムしか供給できなかったという。

で、同年12月、時事通信社が全国4,000人を対象に塩の消費に関する輿論調査を実施する。その結果を要約すると、敗戦直後の塩をめぐる状況はつぎのようなものであった。

「90%近くが『塩が足りない』という。で、その不足を80%余りの人が『物々交換や闇で補っている』と答えた。だから、味噌や醤油ではなく『塩そのものの配給』に重点をおいて『現在の2倍以上を配給』してほしい。ただ、現状では50%近くが『塩の闇取引とその値上げはやむを得ない』と考えているという。こうした状況を改善するためには、回答者の50%以上が『今後は塩の必要量は国内生産すべきだ』と考えている」

この時期の交換の相場は「塩一升に対して米一升」だった。これを2021年の小売物価で比較すると1キロ換算で「塩1に対して米4.4」程度で、いかに塩が安価になったかが分かる。

「塩の必要量は国内生産すべきだ」という意見が多数を占めるのも不思議はない。上記の調査が実施された1947年、仮に100万トンの塩を輸入すると、当時の為替レート1ドル200~250円として2,000万~2,500万ドルが必要とされた。これを日本円に換算すると40~50億円となる。同じ年の日本の国家予算が2,000億円余りだったから、それだけの塩の輸入には、その2%程度が必要だったことになる。

高田公理(武庫川女子大学名誉教授)

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