くらしお古今東西

茨城県と塩

中世には揚浜式塩田による塩づくりが行われるようになり、その様子が室町時代に書かれた御伽草子の「文正草紙」に描かれています。

江戸時代になっても、常陸北部沿岸及び鹿島灘沿岸で揚浜式塩田による塩づくりが行われましたが、瀬戸内や千葉の行徳塩などが流通するようになると、特に鹿島灘沿岸の塩づくりは次第に衰えていきました。なお、江戸時代には入浜式塩田の導入も試みられたことがあります。

常陸北部沿岸を中心とした揚浜式塩田による塩づくりは明治の末まで行われました。

参考文献:『茨城製塩史の研究』梅原 勇

塩づくりの工夫

「海岸崖」の利用

茨城県北部では、塩づくりの工夫として、「海食崖」(高さ20~30メートルの崖が連なった海岸で主に凝灰岩質泥岩からなる)を掘って作った水槽を、塩田でつくったかん水(濃い塩水)を貯蔵するために使っていました。これには、太陽熱による蒸発により塩分濃度を高める効果もあったとされています。

参考文献:『茨城製塩史の研究』

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