くらしお古今東西

神奈川県と塩

東京湾岸の大師河原等では、江戸時代から明治末まで、入浜式塩田による塩づくりが行われていました。

塩にまつわる人物

佐々木久左衛門

幕臣。寛文11(1671)年、原町田村(現東京都町田市)の豪農・武藤喜左衛門を説いて大師河原(現川崎市)に塩田をつくらせました。ただし、その塩は赤色で質が悪い「抱塩(たきしお)」と呼ばれるものでした。他の地方の「抱塩」は江戸で販売することが認められていませんでしたが、幕臣である久左衛門の画策によるものでしょうか、安政年間(1855-1860)まで、大師河原の「抱塩」だけは江戸市中で販売することが認められていました。

参考文献:『大日本塩業全書 第三編』

塩にまつわる習俗

夜間の運搬を忌む

塩は夜間に運ぶものではなかった。塩を夜間に運ぶのを嫌がる話は全国各地に残されている。津久井郡内郷村(現相模原市)でも、塩を夜運ぶのを嫌ったといわれている。何故かというと、オオカミが塩を好むからだという。

しかし、どうしても夜間に塩を運ばなければならない時には、硫黄がついた付木を持つようにしたという。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

参考文献:『塩俗問答集 常民文化叢書<3>』渋沢敬三編

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