くらしお古今東西

熊本県と塩

江戸時代以降、有明海や八代湾の広大な干潟を干拓した入浜式塩田が築造され、腹赤(現玉名郡)、不知火(現宇城市)、水俣等において明治末まで塩づくりが行われました。

塩にまつわる人物

鹿子木量平・久保才平

文政年間(1818~1831年)、熊本藩では、耕地にするために文政村(現八代市)の700町歩あまりを開拓しましたが、一部農耕に不適な場所がありました。ここに、同村の鹿子木量平や久保才平らが5町歩あまりの塩田を開拓しました。これが文政塩田の始まりです。

参考文献:『大日本塩業体系 第三編』

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