くらしお古今東西

奈良県と塩

内陸の奈良県には、塩づくりの記録は見られません。

中世には、興福寺の「塩座」が塩の流通の中心的な役割を果たしていました。主な塩の流入ルートには、堺からいわゆる大和街道を経由するものと、淀から木津川を遡るものの2つがありました。

塩についての記録

奈良の興福寺多門院で、中世から近世初頭まで三代の著者により書き継がれてきた『多門院日記』という古文書があります。塩の関係では、天正10(1982)年の本能寺の変後、去就に迷った筒井順慶が大和郡山城に塩や米を運び込んだことや、その後大和郡山城主となった豊臣秀長が、天正17(1989)年の塩価暴落の機会に大和郡山城に塩を大量に備蓄したこと、また多門院で購入した塩の価格などが記録されています。

参考文献:『日本塩業体系 原始・古代・中世(稿)』

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