くらしお古今東西

岐阜県と塩

内陸の岐阜県には、塩づくりの記録はほぼありません。

江戸時代、美濃地方へは、木曽川、揖斐川の水運により、尾張、伊勢の塩商人によって塩が運ばれていました。

また天領だった飛騨高山には、富山側からの主に能登の塩と美濃経由の三河・尾張・伊勢の塩の両方が入っていましたが、江戸時代末には、能登塩だけが入るようになりました。

参考文献:『北陸専売事業60年の歩み』日本専売公社金沢地方局

塩にまつわる人物

信長に仕えた「塩屋」

永禄12(1569)年、京都の公家・山科言継(ときつぐ)は、岐阜城に織田信長を尋ねました。筆まめな言継は、そのときの様子を日記『言継卿記』に記録していますが、岐阜城下で宿所としたのは「塩屋」を営む大脇伝内のところでした。伝内は、塩を売る商人でありながらも同時に信長に「馬廻り」として仕える武士でもありました。身分階級が分化しきっていないこの時代には、商人と武士を兼ねる存在は珍しくはなかったようです。

信長に関する基本史料である『信長公記』にも伝内と同姓の「塩売り」大脇伝介が登場します。伝介は伝内の同族で、安土城下(現滋賀県近江八幡市)で塩屋を営んでいたと考えられており、大脇一族は、岐阜から安土にかけて手広く塩屋を営んでいたようです。

参考文献:『信長の親衛隊』谷口克広

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