くらしお古今東西

青森県と塩

中世、近世には、粘土でつくった釜で海水を直接煮つめて塩をつくっていたと考えられています。
明治になると、瀬戸内や九州の塩が入ってくるようになり、青森県で塩はつくられなくなっていきますが、明治末まで、浅虫温泉では温泉熱を利用した塩づくりが、また三戸郡では海水を直接煮つめる方式の塩づくりが行われていました。

参考資料:青森県営浅虫水族館・青森県立郷土館連携展「青い海の塩づくり」

塩にまつわる人物

米田甚吉
弘前の呉服商。明治20(1887)年、浅虫温泉の製塩施設を譲り受け、翌年から塩づくりを開始しました。鉄道工事で海水をくみ上げるための樋が切断され、休業したこともありましたが、明治29(1896)年に事業を再開しました。温泉熱で海水を濃縮する工程を2段階とするといった工夫により、明治34(1901)年には約1,000石(約18万リットル)もの塩をつくっていました。

参考資料:「青い海の塩づくり」

 

塩にまつわる習俗

ドダリ三升

塩が不足しているところでは、生活必需品である塩を大切に扱っていた。青森県では、海水を直接煮炊きするか、北前船が運んできた塩を買っていたため、とりわけ貴重品であった。

北津軽郡内潟村(現中里町)では、「ドダリ三升」という言葉があった。これは塩俵を乱暴に扱いドタリと下ろすと、貴重な塩を一度に三升失ってしまうという意味である。本当に三升失うかはわからないが、塩俵を移動させるときには丁寧に扱わなければならないという意味である。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

参考文献:『塩俗問答集 常民文化叢書<3>』渋沢敬三編

Newさまざまな塩のつかいみち

凍らないために塩をまく

現在でも雪が降った時、道路が凍らないために塩をまくことがある。青森市では、冬になると、敷居に塩をまき、凍るのを防いだという。

落合 功

参考文献:『塩俗問答集 常民文化叢書<3>』

塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会会員

全国塩元売協会会員

  • 株式会社八戸塩元売捌所
ホームへ戻る