くらしお古今東西

岩手県と塩

江戸時代から明治末までは、三陸沿岸では主に海水を直接釜で煮つめる方法による塩づくりが行われていましたが、大船渡湾には入浜式塩田もありました。

野田村の海岸でつくられた塩を牛の背に乗せて北上山地を越えて盛岡近郊にまで運んだ「野田塩ベコの道」が塩の道として有名です(ベコは牛のこと)。

New 塩の道

久慈から送られる塩の道(九戸(くのへ)街道)

九戸街道は、久慈市から二戸市までを結ぶ街道で、現在の国道395号線とほぼ同じ。久慈市内の海岸部や侍浜で作られた塩は、この九戸街道を使って運ばれた。塩や海藻(浜草)は、人や馬の背中に載せた。彼らのことを、若かろうが老人であろうが関係なく「浜の爺」と呼んだという。途中の軽米(かるまい)には市があり、米や栗などの穀物や柿と交換されたという。この軽米で取引が行われたため、「軽米塩」といわれた。この軽米塩は、青森県の南郷(八戸市)や名川(三戸郡南部町)にまで運ばれた。

落合 功(青山学院大学経済学部教授)

参考文献:『塩の民俗学』亀井千歩子

塩にまつわる習俗

与作塩

柳田国男の『遠野物語拾遺』には、昔、与作という塩商人が正月の11日に塩を売り歩くと、買った塩の中に黄金が入っていたことから、遠野の町では、これを吉例として正月11日に「与作塩」といって塩を買う習慣があったとの話が載せられています。

参考文献:『遠野物語拾遺』柳田国男

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