くらしお古今東西

福島県と塩

江戸時代から明治末まで、相双地域では入浜式や揚浜式による塩づくりが行われていました。またいわき地域では、明治から大正にかけて海水を直接煮つめる方法での塩づくりが行われました。

一方、内陸部では、明治期まで複数の箇所で塩泉による塩づくりが行われた記録があります。

戦時中から戦後にかけて、海水を直接煮つめる方法、揚浜式、入浜式、流下式など各種の塩づくりが復活しましたが、ほとんどは昭和30年代までに廃止されました。

参考文献:『郡山地方局70年のあゆみ』日本専売公社郡山地方局

塩にまつわる人物

鈴木宗右衛門兼久

松ヶ江村(現相馬市)の住人。下総(現千葉県)の行徳から来た玄蕃という「神詞者」に勧められ、元和2(1616)年に塩田を拓きました。文政2(1819)年、相馬藩は塩田開発の功績を賞して宗右衛門兼久の子孫に采地を与え郷士としました。

参考文献:『大日本塩業全書 第二編』

塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会会員

全国塩元売協会会員

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